【韓国軍隊:一等兵時代】5. 軍人の唯一の癒しは手紙

2001年 1010

「入隊して1ヶ月ちょっと、まだ彼女から手紙が一通も来なくて心配で凹んでいたのだが、厳しい訓練が終わって帰ってきたら、小隊長が「パクジョンヒョ訓練兵、お前か。手紙いっぱい届いてるぞ!」と言うんじゃないか!入隊後、毎日一通ずつ送っていた彼女の手紙がやっといっぺんに届いたのだ。不安や心配でいらいらしていたけど、嬉しくて空を飛ぶような気分だった。毎日の訓練、頑張れそう!」

2002年 313

昨日結局ハナちゃんから手紙が届いた。頼んで、ねだって卑屈にもらった手紙だけど、久々の手紙で嬉しくてしょうがなかった。なんとか連絡している一人、二人の女の子にすがり付いて、手紙一通に寄りかかって、自らプライドを捨てながら卑屈になる自分・・・。これが定型的な軍人の姿ではないだろうか?」

2003年 7月 9日

本当に久しぶりに書いた手紙なのに驚くことに国際郵便だ。俺の人生、初めての国際郵便。先月除隊したキム兵長に成りすまして、シンガポールに住む女の子に手紙を送ったら今日返事が届いたのだ。ラッキーなことにアメリカ留学生出身の後輩に全て翻訳してもらって、また返事も書いた。この手紙がつまらないこの生活に一筋の光になってくれるかな!」

2003年 8月 8日

「つらい一日の日課が終わって帰ってきたら、どうしたことか久々に母から電話が来ていた。先週末に送った手紙を読んで電話したと。除隊まであと3ヶ月、軍人として書く最後の手紙だと思って書いた長文の手紙だったけど、微笑ましすぎて、嬉しすぎて10回以上も読み返したと・・・。電話までして頼りになると、嬉しいと喜ぶ親の声を聞いたら、疲れが一気に吹き飛んだ。やっぱりつらい時、苦しい時に俺を支えて、励んでくれる存在は結局自分の親だっていうことに改めて気づいた。親を考えながら、気丈にこの山を乗り越えよう!」

 

「友よ、俺が軍隊に入ったら必ず手紙を送ってくれ。お前らとの楽しかった日々が忘れられないように。・・・さあ、もう一度始まりだ。若き日の夢よ。・・・ラッパ音、緩やかに夜空へ広がると、一等兵の手紙一通、大事に折り畳んで送るよ。」

入隊する男の切ない気持ちを淡々と語った歌「一等兵の手紙」、厳しい訓練が終わって親を思い出しながら手紙を書いたり(この時、ポタポタと落ちた涙で字が滲んだりする。笑)、親から帰ってきた返事を胸に抱えて涙を流したことのある韓国の男なら誰もが知る名曲である。軍隊を経験した韓国男性はこの歌を聴くだけで当時の切ない気持ちがよみがえり、心に響いてウルッとなるのだ。

数秒あればキーボードで打ったメールが送れたり、スマートフォンでは指一本動かすだけでメッセージが送れるいわゆるデジタル時代、僕が入隊した2000年の初めの頃も若者に手紙は苦手で不慣れなものだった。僕も手紙なら彼女に告白した時や誕生日の時に彼女を感動させるためにしゃれた言葉で書いたくらいが全部・・・。そんな若い子達は軍人になって初めて手で書いた手紙の力、魅力に目が覚めることになる。

僕の軍隊時代の日記を見ると、訓練兵時代から兵長時代をひっくるめて手紙に関するエピソードがよく出てくる。

実は軍人にとって手紙を書いて送ることは軍隊生活全般の日課でもある。入隊早々、訓練が終わったら部隊長は布団と枕を机にして毎日のように手紙を書かせた。部隊の現代化、情報化により、部隊内でインターネットが普通に使える今でも手紙はしっかり書かせているという・・・。特に電話もインターネットも禁止され、社会から隔離される6週間の訓練兵時代に手紙は「砂漠のオアシス」「力の源」だった。封筒の名前を読むだけで涙が滲んでくる親からの手紙ももちろん励みになるが、やっぱり嬉しかったのは彼女からの手紙だった。入隊して3週間目まで返事がなくて不安がいっぱいだったが、ある日、毎日毎日可愛い紙に丁寧に書いて送った彼女からの手紙がいっぺんにドン!と部隊に届き、話題になって部隊員全員に羨まれたことは軍隊時代最も嬉しかった記憶(そんな彼女も半年も持たずに立ち去ってしまったのだが・・・)である。

 

 

大切な人を思い出しながら手紙を書き、数日間その返事を待ち、夜「パク訓練兵!手紙だ!」と返事を渡され、一日の疲れを忘れてしまう・・・、その手紙の不思議な力に目が覚めた闇の奴等(軍人)は訓練が終わると、特にやることもない為、手紙を書くことに没頭し、やがて「手紙中毒」にかかる人も多数いた。親と友達からの手紙も減ってきて、もう手紙を送る人も書いてくれる人もないのに、無差別に手紙を書きまくってその返事ばかりを考えて一日中ボーっとしている症状をいわゆる「手紙中毒症状」と呼んでいた。軍隊ならではのこの新種疾患は、女もいなく、余暇時間に別にやることもない、軍隊という特殊な世界にいる為、一度発病すると除隊するまでなかなか直らない難病だった。

僕の場合、訓練もダラダラ、一日中暇していた兵長時代にこの難病にかかってしまった。一度でもかかわったことのある女の子、別れた元カノにも送ったり、後輩を脅して女の子の家の住所をもらって送ったり、何のかかわりもない後輩の彼女にまで手紙を送ったりもしていた。除隊直前、その症状は末期となり、女子校の先生として勤めていた父に頼んで学生の住所を教えてもらったり、英語もできないのに除隊した先輩に成りすまし、シンガポール人の女の子に送ったり、挙句の果てには、いわゆる「慰問の手紙」と呼ばれる小学生からの団体手紙の相手が女の子だったのでワクワクしながら手紙を交わしたりもしていた。

その手紙への執着、中毒症状は除隊した途端、嘘のように治った。しかし、僕は今でも親に感謝の気持ちを伝えたい時、女の子を口説く時、友達と仲直りしたい時は必ず手書きの手紙を渡している。無愛想な性格でなかなか口では言えないけど、一字一字を丁寧に書き込んだ手紙には、相手に本音と真心が伝わるし、自分も癒される不思議な力があることを軍隊で経験したからだ。

厳しかった軍隊生活の唯一の癒しだった手紙、今夜は当時の切なくてじれったい感情を思い出して大切な人に手紙を書いてみようと思っている。

 

*当時彼女からもらった手紙は未だに捨てることができず・・・厳しい軍隊生活が勝ち抜けた 唯一の癒しだった!