【韓国軍隊:一等兵時代】4. 休暇による、休暇のための軍隊生活

2002年 8月 5日
「10日間の一等兵定期休暇を過ごして今日部隊に復帰した。除隊目前の兵長休暇(15日間)を除き、軍隊生活で最も長い休暇が終わった。短くて長かった休暇だった。
10日間明るくて美しい外の世界を遊び放題、食べ放題、やり放題で満喫して戻ってきたらこの生活が尚更くそのように感じるし、適応がしんどい・・・。長かった分、沢山準備した休暇だったけど、今回も残るのは虚しさ、後悔だけだった。
行きたかった海にも行けなかったし、新しいガールとの出会いもなかったし、毎日盛り場をうろつき、お酒で終わってしまった。
次の休暇はいつだろうか?軍隊生活ってまさに休暇による、休暇のためのものじゃないかな。また次の休暇まで頑張ってみるか!」

アメリカの16代大統領であるリンカーンは(Lincoln, Abraham)1863年、歴史に残る名言を残した。「国民の、国民による、国民の為の政府(国)」と語ったいわゆるゲティスバーグ演説。2002年3月一等兵になると同時に新兵が配属してきて後輩もできた僕は一人の後輩を倉庫に呼び出し、軍隊生活に残る名言を残した。「闇の奴等の僕らの軍隊生活は休暇による、休暇のためのものである。」
2年2ヶ月間の軍隊生活は、次の休暇だけが頼りで、それを楽しみにしながら毎日を辛抱する日々だった。当時の日記を見ると、休暇を控えて浮かれる気持ち、休暇が終わった後の虚しさ、不安を綴ったところが多く目につく。

やっぱり一番記憶に残っている休暇は100日を待ち焦がれた5日間の初休暇だった。
「前日の夜、私は全然眠れなかった。家族に、友達に会うことを思い描きながら胸をワクワクさせて一人で布団の中でにこにこ、ニヤニヤしていたのだ。誰もそんなにじっくり見るはずもないのに、軍服も綺麗にアイロンをかけておいたし、軍靴も一所懸命ツヤを出してガラスの靴のようにピカピカにしておいた。

そして、不寝番勤務者に頼んで30分早く起き1月なのに冷たい水でシャワーを浴びた。(施設の劣悪な軍隊で温かい水がいつもザーザー出てくるわけではなかった。)」前回の記事を見ると、100日ぶりに親、友人、そして彼女との再会を控えた初休暇当日の一等兵の心境がよく分かる。当時の僕の一番の楽しみは親でも親友でもなく彼女との再会だった!(お母さん、ごめんね!)冷たい水でシャワーをしていても、彼女と100日ぶりに会ってキスすることを想像するたけで、体がふわっと熱く燃えてきてお湯でシャワーをしているように感じていた。

 

しかし、そのウキウキ、フワフワと浮かれる気持ちを感じるのは一瞬のこと。いつの間にか復帰の日が近づいてきて、その気持ちは絶望に変わっていった。100日間を待ち焦がれていたのに5日間はまさに一日のように過ぎ去り、僕を苦しめる訓練と先輩との再会の日が迫っていたのだ。今でも初休暇に出かけた未熟な軍人が復帰せず、事故を起こしたり自殺したりしたというニュースを目にすると、当時の絶望感がよみがえってきて胸が苦しくなる。僕を含めて殆どの軍人がその絶望感を何とか抑えて無事に部隊へ戻ってくることができたのは「次の休暇」があるからだった。

5日間が1日のように過ぎ去ってしまう不思議で恐ろしい経験をした僕は、次回の休暇はどうすれば最も効率的で楽しく過ごせるかの研究に没頭していった。そして、暇さえあれば次の休暇の時に何をするか、何を食べるかを日付毎に、そして時間帯できっちりと手帳に書くのが日常だった。

*暇さえあれば書いていた休暇計画と空想に関するメモ。ソンジンとお酒、カラオケ、クラブ。ハナちゃんと映画、お酒など誰と何をするかをきめこまやかに書いている。

 

次の休暇、それだけにすがり付いて毎日を頑張れたのだ。そんなにきっちり計画を立てて準備した休暇なのにいつも結果は失敗だった。一等兵になってからは彼女に振られ、一番の楽しみもなくなっていたし、それでも「最高の休暇を過ごすぞ!」という気持ちが先立ち、焦っていたら何もできずにただ、男らと居酒屋、クラブなどで転々するだけだった。特に、客引きに騙されて行ったキャバクラで大金を取られ、さらに暴力団に監禁されたことは、今となっては馬鹿馬鹿しくて仕方がない。

まあ、そんな馬鹿げたこともやりまくったが、次の休暇の時はもっと凛とした息子の姿を、軍人の姿を見せるぞ!と毎日を励んで、頑張れた原動力はたった一つ、休暇であった。休暇が重なっていく分、自分は本当の軍人として成長していたし、休暇を楽しみにして幸せな想像に浸っていたら、また次の休暇が近づいてきて、気が付いたら最後の休暇と除隊の日が近づいてきていた。
過酷な2年2ヶ月間の軍隊生活を勝ち抜けたのは、まさに「偉大なる休暇の力」だったのだ。

 

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